映画の中に人生がある
高橋純
映画を観ないということは、私からすると、
本を読まないのと同義語である。
本も読まず、映画を観ない人は、アンポンタンな人生をおくると言っても過言ではない。
世界旅行に行くわけでもなければ、世の中を知る術が失われるからだ。
ただし、私がいう『映画』とは、映画館で観る映画のことであり、TVで放映されている映画とは別物だ。
では、映画館で観る『映画』とTVで見る映画は、
どう違うのか?
というと、音響設備や大画面などの迫力もさる事ながら、一番の違いはあなたが今どこに居るか?の違いである。
TVで映画を見ている場合を思い出してみよう!
食事をしながら、友人や家族と会話をし、
聞き逃したからと巻き戻しをする。
トイレに行きたくなると一時停止をし、
電話がなれば同じく一旦中断する。
確かに身体はそこには居るが、心はここにあらずだ。
一方、映画館で観る『映画』はというと、
わざわざ足を運んで1800円のチケットを購入し、
予告を見ながらその時を待つ。
もちろん、トイレは必ず済ませて電話の電源はOFFにする。
開始前から準備万端で心構えはまさに、始まる前から、もう映画の中にある。
聞き逃してしまえば、巻き戻しも不可能なので真剣そのもので凝視して観るだろう。
仮に予想と違って面白く無かった場合は、
時間とお金を損したと悔やむことになるだろうが、
そこがまた次の『当たり!』の映画を観た時の感動が更に大きくなることだろう。
TVで映画を見ても面白くなければ、
それこそ何の躊躇いもなく、開始数十分間で止めて、悔やむこともなく次の何かをするだけだ。
全勢力を注ぎ、全集中で観る『映画』と片手間にTVで見る映画は、
感動度も学びも優秀な人でも三分の一以下に低下する。
これではもはや、単に同じモノを見た程度であり、
同じ『映画』を共有したことにはならない。
甲子園を本気で目指して野球をやった人と、
草野球で友人集めて野球をやった人は確かに同じ野球を経験してはいるが、
体験したことはまるで別物なのと同じことだ。
そういう意味で私は、映画館で観てもいない人に、
『好きな映画は何ですか?』
というベタな質問をされるのが最も嫌いだ。
答えると、『ああ、あの映画ですね!』と言われても、
ハッキリいって何も解っちゃいないのに、
同じ映画を見たと思われるのが嫌だし、
説明するのも面倒だ、
だから私は趣味を聞かれても、映画です!
とは絶対言わない。
言えば話が無駄に長くなるから。
映画は映画館で観てこそ、『映画』といえるのだ。